子供の頃に戻りたくない

このあいだ、家庭環境に問題を抱えている(と自称している)ある人から、「あなたは家庭環境に恵まれているのに何故そんな性格なのか」と言われた。言われた文脈を詳しく覚えておらず、私のどういう発言に対する感想だったのかは不明確なのだが、「そんな性格」のところには、まあざっくり言えば、抑圧された、鬱屈した、倒錯した、厭世的な、などといった言葉が当てはまるはずだ。

たしかに、なんでだろう、と思う。初対面の相手(というかオンライン上だったので対面したことすら無い)に「あなたは家庭環境に恵まれている」と言われても少しの反論もしたくならないくらい、私は家庭環境に恵まれていると自分でも思う。幼少時から、世帯収入がものすごく高かったとかいうことはないが、金銭面で生活に困ることは一度も無かったし、父も母も大好きだった。弟も、生まれたばかりとか言葉が通じない頃はどちらかといえば嫌いだったけど、今では大好きだ。私の一番の理解者は弟だと言ってもいいかもしれない。彼がどう思っているかは知らないが。父や母には言えないことでも弟になら言える気がする。実際には、口の軽い弟に話した内容は秒で親に筒抜けになるので言わないのだが。

「何も考えずに毎日楽しく遊んでいられた子供の頃に戻りたい」と言う人がいる。そういう人がどれくらい本気でそう思っているかは知らないが、私は全くそうは思わない。子供の頃にだけは絶対に戻りたくないし、冗談でも戻りたいなんて言わないし、そういう人に対して「そうですね」と相槌を打つことさえできない。残業が多くて「家にいるのに帰りたい」という感情を覚えていた時期ですら、どこに帰りたいんだろう、実家かな、子供の頃とかかな、いやそれだけは絶対に嫌だ、子供の頃に戻るくらいなら毎日残業なんてどうってことないや、と自問自答していたものだ。

子供の頃の何がそんなに嫌だったのだろう、と振り返ってみる。幼稚園で同じ学齢の人たちと仲良く一緒に遊ばないといけないことも、名札の色が男の子は水色で女の子はピンクなことも、私の心情にそぐわない明るく元気な曲調の歌を歌わされることも、小学校で給食を残さず食べないといけないことも、毎日朝早く起きて行きたくもない場所に通わないといけないこともとにかく嫌で嫌で嫌で、日曜日が終わらなければいいのにとか、朝が来なければいいのにとか、夜布団に入ってから眠りにつくまでの時間だけを永遠に繰り返していたいとか、そんなことばかり考えていた。
良いことだってきっとあったはずなのだ。休みの日に両親と一緒に庭の花の手入れや木の植え替えをしたり、町内会の草むしりや、夏祭りのカラオケ大会だって本当に楽しかった。海に行ったり花火をしたりバーベキューをしたり、家族で過ごす楽しいイベントはかなりたくさん経験してきた。幼稚園にだって、互いの家を行き来するような友達が少なくとも一人はいたし、その子のことは好きだった。小学校だって、主には朝の会と休憩時間と給食と帰りの会が嫌いだっただけで、授業を受けることはそれほど苦痛ではなかったし、テストは全く勉強しなくても満点を取り続けることができた。そして、毎日家に帰ってテレビを見ることが当時の私にとって何よりの楽しみだった。二年生のときにできた友達とは毎日一緒に帰りながら話をするのがとても楽しかったし、大嫌いだったテニス教室もその子が一緒だったので何とか耐えることができた。三年生のときに隣の席の奴に理不尽にいじめられていたことはあったけど、いじめてきたのはそいつ一人だけだったし、新聞なんかで読むような陰湿な集団いじめの対象になったことは一度もなかった。
振り返ってみればこんなに楽しい思い出があるのに、それでも私は、いつだったか覚えていないくらい幼いころから自殺をしたいと思っていた。図書館で「自殺について」とかいうタイトルの本を見つけ、興味を持って手にとったけれど、こんな本を読んでいることを親や学校の先生なんかに知られたらと思うと怖くて貸出手続きはできなかった。新聞に小学生の自殺について書かれていると、その記事をくまなく読んだ。でも、自宅は一戸建ての二階建てで、小学校も3階建てで、幼い私の徒歩圏内には5階以上のマンションもなくて、何階から飛び降りれば確実に死ねるのか調べる手段も持っていなくて、死にきれなかった場合に親に何と言い訳したらいいか分からなくて、何より実行に移す勇気がなくて、私の自殺願望は常に願望でしかなかった。小学校高学年の時に家から車で30分くらいのところにできた大きめのイオンで初めてVillage Vanguardに入ったときに「完全自殺マニュアル」を見つけて、これは私のための本だと思ったけど、ビニールがかかっていて立ち読みできなかった。小学生には自殺も許されないのかと思うと、自分が子供であることがたまらなく嫌になった。
毎日嫌で嫌で仕方ないという気持ちが徐々に薄れ始めたのは小学四年生の時だ。クラス替えで同じクラスになった転校生と仲良くなり、それまでの私を知らない相手と接する気楽さからか、単純にその子と気が合ったからか、その子の前では無理せず素直に振る舞うことができた。その子と一緒に帰るとき、学校を出てから家に着くまでずっと無言でいるので、その様子を見た他の子から「お前ら何のために一緒に帰ってんの」などと言われたことがあったが、それが私にとって心地よい時間だったのだ。また、四年生にもなってくると、時間の体感速度がかなり上がってくる。一年生の頃は永遠に続くんじゃないかと思われて憂鬱でしかなかった小学生時代ももう折り返し地点を越えたのだと分かり、嫌いなテニス教室の2時間という時間の長さも昔とはかなり感じ方が違うことが分かる。辛い時間もそのうち終わることが実感できるようになると、耐える苦痛もかなり軽減された。それでも小学校は嫌いだったので、中学校がどんなところか分からないにも関わらず、早く卒業したいと思っていたけど。
小学校の頃は、「小学校では何とかやってこれたけど中学は大変なんだろうな、さすがに無理かもしれない」と思っていたけれど、中学校は思った以上に楽しいところだった。もちろん中学生時代を掘り返せば嫌な思い出だっていくらでも出てくるが、漠然とした印象でいえば、私にとって幼稚園と小学校は忌まわしい場所で、中学校は懐かしい場所だ。部活は嫌だったからやめたら親には後々まで叱られた(大学生の頃まで折に触れて叱られた)けど担任の先生には部活しないならしないでいいって言われたし。高校は、中学と比べるとクラスに馴染める度が下がったので(中学二年と三年で入れられたクラスの馴染める度が異常に高かったのも原因だが)、中学ほどではないけどまあまあそれなりに楽しかったと思う。もちろん中学三年生の頃は「中学校では何とかやってこれたけど高校は大変なんだろうな、さすがに無理かもしれない」と思ったものだが、やはりこれも実際に進学してみると特に危惧したほどの苦労は感じなかった。文化祭だけは死ぬほど嫌だったので、午後の授業がなくなり文化祭準備に充てられた期間とかは本当に嫌で毎日サボってこっそり帰ったりしていたのだが、文化祭前日くらいにさすがに参加しないとまずいんじゃないかと思って帰らないで教室に残っていたら、それまで私が参加していなかったことに全く言及することなく状況とやるべきことを教えてくれる女神がいたのでそれ以来崇拝していた。大変だと噂に聞いていた受験勉強も、意外と思ったより全然やらなくてもなんとなくいい感じの大学に受かったので、あっさりしたものだった。
そんなふうだったので、私はむしろ、子供の頃は毎日あれこれ思い悩んで苦しみの只中にいたのが、歳をとるにしたがってどんどん「何も考えずに毎日楽しく」過ごせる時間が増えていっている、と感じている。

子供という役割に求められるものは、子供の私にとって重荷だったのかもしれない。子供からしてみれば、子供の人生は楽ではない。毎日嫌なことは山ほどあって、それを子供の少ない経験値と限られた手段と狭い行動範囲の中でどうにか対処していかなくてはならないのだ。それなのに、子供というのは幸せでなくてはならない。子供らしく素直に無邪気な笑顔を振りまいて、お年玉やプレゼントを貰ったら愛想よく喜んでみせて、遊びに連れていかれたら興味がなくても元気よく楽しまなくてはならない。感情労働も甚だしい。
今にして思えば、「子供が幸せでなくてはならない」というのがそもそも私の思い込みだったのかもしれない。挨拶ができなくても、友達がいなくても、そのことで親に叱られても、そういう自分を責める必要はなかったのかもしれない。
こうして考えると、家庭環境に恵まれたことが、私の性格の卑屈さに繋がっているとも取れる。幸せな家庭にいるのだから、私も常に幸せな顔をしていなくてはならない、自殺したい気持ちなど決して表に出してはならない、恵まれた良い子でいなくてはならない、そういう自分への理想の押し付けが、自己否定を強化していったのだろう。
ここで、家庭環境に恵まれていると思っている私の親が実はモラハラ気質だったのではないかという疑念が生じる。そこで、いわゆる毒親などと言われる経験談などをネットで読み漁ってみるが、逆にそういった親たちと比べて我が親の人格が非常にまともであることを実感させられるばかりだ。私に自覚がないだけとか、そういう記憶を無意識に消しているとか、そういった可能性は否定しきれないが、仮にモラハラ寄りであったとしてもそこまで程度の強いものではなかったし、そのことで親を責める気持ちにはなれない。そう無意識に感じてしまうことが私のマザコン具合を反映しているようにも捉えられるが。
そういえば、私が地元で就職するか東京で就職するかの二択を考えていたとき、父親に、あなたは母親から離れた場所で暮らすほうがいいと思う、と言われた。結果的には、東京の会社しか内定をとれなかったので、自分で選択する余地もなく東京で就職することになった。

大学進学とともに親元を離れる直前に、私は何故まだ自殺していないんだろう、という問いかけから始まる長文の日記を書いた。先日それを読み返したいと思って自宅を探してみたが、そのノートは見つからなかった。それもそのはず、私の記憶が正しければ、他の日記はほとんど持ち出したが、それを書いたノートだけはあえて実家に置いてきたからだ。それも、学習机の本棚に何気なく立てかけてきた。親に読ませたいとまでとは思わないが、何かのきっかけで読んでしまわないとも限らない環境にしておきたい、という気持ちからだった。
18歳の私が考えた「自殺していない理由」は、今やもう思い出すことができない。今の私が、なぜ未だに自殺しないのかと自分に問うと、子供に先立たれる親がかわいそうだから、というのが一番に思いつく。事故死や病死ならまだしも、自殺という死に方はさすがに躊躇われる。では親が死んだ後ならば自殺できるようになるのだろうか、というところは実際に親が死んでみないと分からないが。あとは、基本的に何をするのも面倒なので死ぬ方法を調べて実行するのも面倒だ、という理由も大きい。私に行動力が無いのは、行動力を持つと自殺してしまうから、私の生存本能が行動力を持つことを抑えているのではないか、と思うこともある。それ以外にはもちろん、死ぬことに伴う苦痛を感じるのが怖いから、というのもあるが、ちゃんと調べて準備すれば苦痛を感じない死に方もできるはずだと思うので、面倒だからということに尽きるともいえる。
面倒だから死なない、というのはつまり、誰かが殺してくれるというなら喜んでお言葉に甘えるが、自分の手を煩わせてまで今すぐ死ぬ必要性は感じていない、ということだ。子供の頃を思えば、これはとても幸せなことだ。