鬼束ちひろ「書きかけの手紙」歌詞考察

REQUIEM AND SILENCE【通常盤】

REQUIEM AND SILENCE【通常盤】

「書きかけの手紙」*1の歌詞を読むと、どうしても頭をよぎるのが「Sweet Rosemary」*2だ。2つの曲には共通して、“手紙”および“町/街”のモチーフが登場する。

まず、「Sweet Rosemary」の冒頭はこうだ。

手紙には何も書かないで
気持ちを飲み込んでしまうから
どうか どうか手を振らないで
振り返らないと決めたから

“手を振らないで”は、“どうか”の後に続いていることからも、命令形と解釈するのが妥当だ。主人公が元いた町を後にして旅立つ場面*3にて、残していくもの(おそらく、歌詞に登場する“貴方”)への未練を断ち切るため、あえて別れの挨拶をしないまま去っていく決意が描かれている。
“手紙には何も書かないで”のほうは、命令形ではなく連用形であり、行為主体は“貴方”ではなく主人公であると解釈している。私の解釈に従って言葉を補うと、主人公は旅立ちに際し“貴方”に宛てて手紙を書こうとしたが、いざ書こうとするとうまく気持ちを言葉にすることができず、結局何も書かないことにした、という情景が想像される。

この“手紙”が、まさに「書きかけの手紙」そのものである*4

叱られれば泣いた事や 殴られれば正した事
教えられれば学んだ事も
痛いくらいに覚えているの

 「書きかけの手紙」の冒頭にあるとおり、手紙に書くべき“気持ち”はいくらでも思い浮かぶ。
しかし、

駄目だなんて文字にしないように
馬鹿だなんて文字にならないように
残りゆく跡にならないようにと
手紙はいつもまだ書けないままで

という部分から、気持ちを表現しようと言葉を選ぶ段階でいつも立ち止まり、結局“飲み込んで”しまっていることが分かる。主人公は自分の気持ちを正確に言葉にして伝える術を持たない。そのことは以下のように説明されている。

解らない言葉は全部調べ出せた
だけど誰かの為の辞書でだったから
頼りないものさえそっと頼りにした
きっとどこにもない気持ちだったから

他に類のない(と、少なくとも主人公は感じている)気持ちゆえ、そもそも既存の言葉では表すことができないのである。自分が感じている気持ちはどこにもない、という感覚は、「MAGICAL WORLD」*5における“ひとのように振舞えなくて泣いてた”主人公が抱く疎外感と同種のものだろう。

しかし、主人公が手紙を書けないままでいるにも関わらず、“書きかけの手紙”には“返事”が届く。出していない手紙に対して返事が来たということは、わざわざ言葉にして気持ちを伝えなくても、“貴方”には既に伝わっていたということになる。
「書きかけの手紙」の主題は、むしろこの“返事”のほうだ。

自分を探し出せなかったあの街や
自分を見つけられなかったあの街へ
ほんの少しだけだけど届いた返事
「まともじゃなくたって それでいいから」と

“自分を探し出せなかったあの街”や“自分を見つけられなかったあの街”とは、「Sweet Rosemary」において“ヒッチハイクのように”“涙をこらえて”“町から町へ”渡り歩くなかで通過した街である。自分に合わない街を捨てて、次の街へ、また次の街へと進んでいく旅路では、“貴方”は思い出す対象、すなわち過去のものとして語られる。

人生は長いのだろう
貴方のことも思い出すのだろう
人生は長いのだろう
また誰かの肩を抱くのだろう

 「Sweet Rosemary」で何度も繰り返されるこの一節の“貴方”が、主人公にとって大切な人物であることは言うまでもない。しかし、“貴方”は長い人生の中で出会う沢山の“誰か”のうちの一人に過ぎず、時に懐かしく思い出すことはあっても決して振り返ることはないのだと、まるで自らに言い聞かせるかのようにリフレインしている。
この、決して振り返らないという決意は、「帰り路をなくして」*6では次のように描かれている。

帰り路をなくして
明日はどこに向かうのだろう
いつの時か 握りしめてきた
手のひらも解かずに
血の涙は零れる
緋の狭間で立ち上がるのだろう
過ぎ去る背はもう見えない
ただ その先へ
その先へ

 帰る場所を定めず、むしろ自ら放棄して、とにかく先へ先へと進む。この旅路は「everyhome」*7からずっと続いてきたものだ。

少しだけ何か話を
そしてこの路を歩いて行く
帰る家を探すためなんかじゃなくて

このように、“帰る家を探すためなんかじゃなく”、歩き続けるための旅路なのだということが、「everyhome」で既に語られている。
その理由は次の通りだ。

ずっと誰かの隣じゃ
眠れないのを

「Sweet Rosemary」で語られたように、肩を抱いたり隣で眠ったりする“誰か”はヒッチハイクのように獲得するもので、“ずっと”を約束することはできない。あくまで歩き続ける途中で、束の間の安らぎに“少しだけ何か話を”する相手でしかないのだ。
「everyhome」の結びはこうだ。

夢が醒めない事を
きっと責め続けたのだろう
まだ今は来ない次の列車を待つ

ここで言う“夢”は、「ラストメロディー」*8に登場する“夢”と同じく、人生という旅路を喩えたものであると解釈できる。「everyhome」で“旅の終わりさえ信じられない”と語られたように、行くあてを思い描くことすら叶わずただひたすらに先へ先へと進む旅だったが、「ラストメロディー」ではついにその旅の終わりが描かれている。

やっと街も足音を立てて
風さえも隙間を埋めようとする
すべては夢で
あとは目を覚ますだけ
また立ち止まる

 

季節を彷徨う
最後の言葉が
まるで貴方のように横切る
涙をうかべて
歩いてゆく私に
聴こえないメロディー

 タイトルに“ラスト”を冠するこの曲で、“すべては夢”で“あとは目を覚ますだけ”ということは、夢から覚めることがすなわち旅の終わりなのだと連想できる。しかし、“歩いてゆく私”には、この曲の最後までラストメロディーは“聴こえない”すなわち、旅の終わりを認識できない。つまりまだ目を覚ますことなく、夢の、旅の途中にいるのだ。もしくは、旅は終わりを迎えたが、夢から覚めてしまえば夢の中で起きていた出来事は曖昧になり、自分の最後の瞬間を自分で知覚することはできないということかもしれない。しかしその反面、歩き続けながらも“また立ち止まる”ことで、旅が終わりに近づいたことは自覚している。そんな中で走馬灯のごとく、“まるで貴方のように”ふと蘇る懐かしい記憶が、言葉が、“私”に涙をうかべさせる。

さて、ここで「書きかけの手紙」に戻ってみよう。

貴方に優しく出来なかったあの頃や
貴方に辛さだけぶつけたあの頃へ
全部忘れられないと届いた返事
「まともじゃなくたって いいから」
「ふつうじゃなくたって それでいいからね」と

上手に接することもできず、伝えたい気持ちを言葉にして届けることもできず、ただ先へ先へと進むために一方的に別れを告げて過去に追いやってきた“貴方”。それでも折に触れ思い出してきた“貴方”。その“貴方”のほうから“忘れられない”と主人公に届けてきたメッセージが、まともじゃなくたっていい、ふつうじゃなくたっていいという、無条件の、いわば究極の承認であった。
「書きかけの手紙」の歌詞は、そのほとんどが過去を振り返るような内容になっている。もう、かつてのように当て所なく盲目的に先へ進む旅は終わったのだ。それは、旅の途中で考えていたような“旅の終わり”を迎えたということではなく、目指すべき目的地という概念そのものから解放され、旅を続ける必要がなくなったという意味での“終わり”だった。
「碧の方舟」*9でも、こう語られている。

貴方という終わりで溺れる
でも構わない
辿り着く
その場所は何処でもいいのだろう

旅の終着点は、“貴方”だったのである。

 

*1:2020年2月20日発売のベストアルバム『REQUIEM AND SILENCE』収録。

鬼束ちひろ 書きかけの手紙 歌詞 - 歌ネット

*2:2007年10月31日発売のアルバム『LAS VEGAS』収録。

鬼束ちひろ Sweet Rosemary 歌詞 - 歌ネット

*3:「Sweet Rosemary」が収録されているアルバム『LAS VEGAS』は、“旅”のイメージで制作されている。

LAS VEGAS[CD] - 鬼束ちひろ - UNIVERSAL MUSIC JAPAN

*4:“書きかけの手紙”という言葉がそのままズバリ出てくる曲があり、「スター・ライト・レター」というのだが、こちらの主人公は非常にポジティブに手紙を綴り、まっすぐに気持ちを届けようとする。“貴方”宛ての手紙は書けなくても“君”宛ての手紙は書けるのかもしれない。「スター・ライト・レター」は乱暴にひとことで言えば「Sign」と概ね同じことを言っている。つまり、「Sign」が大好きな私は「スター・ライト・レター」も大好きなので早くカラオケで歌えるようにしてください。

*5:2007年5月30日発売のシングル『everyhome』収録。

鬼束ちひろ MAGICAL WORLD 歌詞 - 歌ネット

*6:2009年7月22日発売のシングル『帰り路をなくして』収録。

鬼束ちひろ 帰り路をなくして 歌詞 - 歌ネット

*7:2007年5月30日発売のシングル『everyhome』収録。

鬼束ちひろ everyhome 歌詞 - 歌ネット

*8:2009年5月20日発売のシングル『X/ラストメロディー』収録。

鬼束ちひろ ラストメロディー 歌詞 - 歌ネット

*9:2016年11月2日発売のシングル『good bye my love』収録。

鬼束ちひろ 碧の方舟(acoustic version) 歌詞 - 歌ネット