子供の頃に戻りたくない

このあいだ、家庭環境に問題を抱えている(と自称している)ある人から、「あなたは家庭環境に恵まれているのに何故そんな性格なのか」と言われた。言われた文脈を詳しく覚えておらず、私のどういう発言に対する感想だったのかは不明確なのだが、「そんな性格」のところには、まあざっくり言えば、抑圧された、鬱屈した、倒錯した、厭世的な、などといった言葉が当てはまるはずだ。

たしかに、なんでだろう、と思う。初対面の相手(というかオンライン上だったので対面したことすら無い)に「あなたは家庭環境に恵まれている」と言われても少しの反論もしたくならないくらい、私は家庭環境に恵まれていると自分でも思う。幼少時から、世帯収入がものすごく高かったとかいうことはないが、金銭面で生活に困ることは一度も無かったし、父も母も大好きだった。弟も、生まれたばかりとか言葉が通じない頃はどちらかといえば嫌いだったけど、今では大好きだ。私の一番の理解者は弟だと言ってもいいかもしれない。彼がどう思っているかは知らないが。父や母には言えないことでも弟になら言える気がする。実際には、口の軽い弟に話した内容は秒で親に筒抜けになるので言わないのだが。

「何も考えずに毎日楽しく遊んでいられた子供の頃に戻りたい」と言う人がいる。そういう人がどれくらい本気でそう思っているかは知らないが、私は全くそうは思わない。子供の頃にだけは絶対に戻りたくないし、冗談でも戻りたいなんて言わないし、そういう人に対して「そうですね」と相槌を打つことさえできない。残業が多くて「家にいるのに帰りたい」という感情を覚えていた時期ですら、どこに帰りたいんだろう、実家かな、子供の頃とかかな、いやそれだけは絶対に嫌だ、子供の頃に戻るくらいなら毎日残業なんてどうってことないや、と自問自答していたものだ。

子供の頃の何がそんなに嫌だったのだろう、と振り返ってみる。幼稚園で同じ学齢の人たちと仲良く一緒に遊ばないといけないことも、名札の色が男の子は水色で女の子はピンクなことも、私の心情にそぐわない明るく元気な曲調の歌を歌わされることも、小学校で給食を残さず食べないといけないことも、毎日朝早く起きて行きたくもない場所に通わないといけないこともとにかく嫌で嫌で嫌で、日曜日が終わらなければいいのにとか、朝が来なければいいのにとか、夜布団に入ってから眠りにつくまでの時間だけを永遠に繰り返していたいとか、そんなことばかり考えていた。
良いことだってきっとあったはずなのだ。休みの日に両親と一緒に庭の花の手入れや木の植え替えをしたり、町内会の草むしりや、夏祭りのカラオケ大会だって本当に楽しかった。海に行ったり花火をしたりバーベキューをしたり、家族で過ごす楽しいイベントはかなりたくさん経験してきた。幼稚園にだって、互いの家を行き来するような友達が少なくとも一人はいたし、その子のことは好きだった。小学校だって、主には朝の会と休憩時間と給食と帰りの会が嫌いだっただけで、授業を受けることはそれほど苦痛ではなかったし、テストは全く勉強しなくても満点を取り続けることができた。そして、毎日家に帰ってテレビを見ることが当時の私にとって何よりの楽しみだった。二年生のときにできた友達とは毎日一緒に帰りながら話をするのがとても楽しかったし、大嫌いだったテニス教室もその子が一緒だったので何とか耐えることができた。三年生のときに隣の席の奴に理不尽にいじめられていたことはあったけど、いじめてきたのはそいつ一人だけだったし、新聞なんかで読むような陰湿な集団いじめの対象になったことは一度もなかった。
振り返ってみればこんなに楽しい思い出があるのに、それでも私は、いつだったか覚えていないくらい幼いころから自殺をしたいと思っていた。図書館で「自殺について」とかいうタイトルの本を見つけ、興味を持って手にとったけれど、こんな本を読んでいることを親や学校の先生なんかに知られたらと思うと怖くて貸出手続きはできなかった。新聞に小学生の自殺について書かれていると、その記事をくまなく読んだ。でも、自宅は一戸建ての二階建てで、小学校も3階建てで、幼い私の徒歩圏内には5階以上のマンションもなくて、何階から飛び降りれば確実に死ねるのか調べる手段も持っていなくて、死にきれなかった場合に親に何と言い訳したらいいか分からなくて、何より実行に移す勇気がなくて、私の自殺願望は常に願望でしかなかった。小学校高学年の時に家から車で30分くらいのところにできた大きめのイオンで初めてVillage Vanguardに入ったときに「完全自殺マニュアル」を見つけて、これは私のための本だと思ったけど、ビニールがかかっていて立ち読みできなかった。小学生には自殺も許されないのかと思うと、自分が子供であることがたまらなく嫌になった。
毎日嫌で嫌で仕方ないという気持ちが徐々に薄れ始めたのは小学四年生の時だ。クラス替えで同じクラスになった転校生と仲良くなり、それまでの私を知らない相手と接する気楽さからか、単純にその子と気が合ったからか、その子の前では無理せず素直に振る舞うことができた。その子と一緒に帰るとき、学校を出てから家に着くまでずっと無言でいるので、その様子を見た他の子から「お前ら何のために一緒に帰ってんの」などと言われたことがあったが、それが私にとって心地よい時間だったのだ。また、四年生にもなってくると、時間の体感速度がかなり上がってくる。一年生の頃は永遠に続くんじゃないかと思われて憂鬱でしかなかった小学生時代ももう折り返し地点を越えたのだと分かり、嫌いなテニス教室の2時間という時間の長さも昔とはかなり感じ方が違うことが分かる。辛い時間もそのうち終わることが実感できるようになると、耐える苦痛もかなり軽減された。それでも小学校は嫌いだったので、中学校がどんなところか分からないにも関わらず、早く卒業したいと思っていたけど。
小学校の頃は、「小学校では何とかやってこれたけど中学は大変なんだろうな、さすがに無理かもしれない」と思っていたけれど、中学校は思った以上に楽しいところだった。もちろん中学生時代を掘り返せば嫌な思い出だっていくらでも出てくるが、漠然とした印象でいえば、私にとって幼稚園と小学校は忌まわしい場所で、中学校は懐かしい場所だ。部活は嫌だったからやめたら親には後々まで叱られた(大学生の頃まで折に触れて叱られた)けど担任の先生には部活しないならしないでいいって言われたし。高校は、中学と比べるとクラスに馴染める度が下がったので(中学二年と三年で入れられたクラスの馴染める度が異常に高かったのも原因だが)、中学ほどではないけどまあまあそれなりに楽しかったと思う。もちろん中学三年生の頃は「中学校では何とかやってこれたけど高校は大変なんだろうな、さすがに無理かもしれない」と思ったものだが、やはりこれも実際に進学してみると特に危惧したほどの苦労は感じなかった。文化祭だけは死ぬほど嫌だったので、午後の授業がなくなり文化祭準備に充てられた期間とかは本当に嫌で毎日サボってこっそり帰ったりしていたのだが、文化祭前日くらいにさすがに参加しないとまずいんじゃないかと思って帰らないで教室に残っていたら、それまで私が参加していなかったことに全く言及することなく状況とやるべきことを教えてくれる女神がいたのでそれ以来崇拝していた。大変だと噂に聞いていた受験勉強も、意外と思ったより全然やらなくてもなんとなくいい感じの大学に受かったので、あっさりしたものだった。
そんなふうだったので、私はむしろ、子供の頃は毎日あれこれ思い悩んで苦しみの只中にいたのが、歳をとるにしたがってどんどん「何も考えずに毎日楽しく」過ごせる時間が増えていっている、と感じている。

子供という役割に求められるものは、子供の私にとって重荷だったのかもしれない。子供からしてみれば、子供の人生は楽ではない。毎日嫌なことは山ほどあって、それを子供の少ない経験値と限られた手段と狭い行動範囲の中でどうにか対処していかなくてはならないのだ。それなのに、子供というのは幸せでなくてはならない。子供らしく素直に無邪気な笑顔を振りまいて、お年玉やプレゼントを貰ったら愛想よく喜んでみせて、遊びに連れていかれたら興味がなくても元気よく楽しまなくてはならない。感情労働も甚だしい。
今にして思えば、「子供が幸せでなくてはならない」というのがそもそも私の思い込みだったのかもしれない。挨拶ができなくても、友達がいなくても、そのことで親に叱られても、そういう自分を責める必要はなかったのかもしれない。
こうして考えると、家庭環境に恵まれたことが、私の性格の卑屈さに繋がっているとも取れる。幸せな家庭にいるのだから、私も常に幸せな顔をしていなくてはならない、自殺したい気持ちなど決して表に出してはならない、恵まれた良い子でいなくてはならない、そういう自分への理想の押し付けが、自己否定を強化していったのだろう。
ここで、家庭環境に恵まれていると思っている私の親が実はモラハラ気質だったのではないかという疑念が生じる。そこで、いわゆる毒親などと言われる経験談などをネットで読み漁ってみるが、逆にそういった親たちと比べて我が親の人格が非常にまともであることを実感させられるばかりだ。私に自覚がないだけとか、そういう記憶を無意識に消しているとか、そういった可能性は否定しきれないが、仮にモラハラ寄りであったとしてもそこまで程度の強いものではなかったし、そのことで親を責める気持ちにはなれない。そう無意識に感じてしまうことが私のマザコン具合を反映しているようにも捉えられるが。
そういえば、私が地元で就職するか東京で就職するかの二択を考えていたとき、父親に、あなたは母親から離れた場所で暮らすほうがいいと思う、と言われた。結果的には、東京の会社しか内定をとれなかったので、自分で選択する余地もなく東京で就職することになった。

大学進学とともに親元を離れる直前に、私は何故まだ自殺していないんだろう、という問いかけから始まる長文の日記を書いた。先日それを読み返したいと思って自宅を探してみたが、そのノートは見つからなかった。それもそのはず、私の記憶が正しければ、他の日記はほとんど持ち出したが、それを書いたノートだけはあえて実家に置いてきたからだ。それも、学習机の本棚に何気なく立てかけてきた。親に読ませたいとまでとは思わないが、何かのきっかけで読んでしまわないとも限らない環境にしておきたい、という気持ちからだった。
18歳の私が考えた「自殺していない理由」は、今やもう思い出すことができない。今の私が、なぜ未だに自殺しないのかと自分に問うと、子供に先立たれる親がかわいそうだから、というのが一番に思いつく。事故死や病死ならまだしも、自殺という死に方はさすがに躊躇われる。では親が死んだ後ならば自殺できるようになるのだろうか、というところは実際に親が死んでみないと分からないが。あとは、基本的に何をするのも面倒なので死ぬ方法を調べて実行するのも面倒だ、という理由も大きい。私に行動力が無いのは、行動力を持つと自殺してしまうから、私の生存本能が行動力を持つことを抑えているのではないか、と思うこともある。それ以外にはもちろん、死ぬことに伴う苦痛を感じるのが怖いから、というのもあるが、ちゃんと調べて準備すれば苦痛を感じない死に方もできるはずだと思うので、面倒だからということに尽きるともいえる。
面倒だから死なない、というのはつまり、誰かが殺してくれるというなら喜んでお言葉に甘えるが、自分の手を煩わせてまで今すぐ死ぬ必要性は感じていない、ということだ。子供の頃を思えば、これはとても幸せなことだ。

万引きの中毒性が分からない

○月✕日

駅のキオスクでペットボトルのお茶。入店直後にお茶を手に取り、しばらく駅弁を物色するが目ぼしい物がなくそのまま立ち去る。このとき手に持っているお茶の存在を忘れて持ち帰ってしまう、という設定。設定に信憑性を増すため、もともと手荷物を多めに持っていると良い。特に新幹線のりば付近だと、気ぜわしく手元がおろそかになっている雰囲気が出やすい。



○月✕日

スーパーマーケットでトイレットペーパー(12ロール入り)。まずスーパーで食品などの買い物をし、普通に会計を済ませてレジ袋に品物を詰める。その後いったん退店し、買い忘れを思い出したふうを装って再入店する(この流れは省略可)。レジ袋を手にぶら提げた姿で、さもこれから買うかのようにトイレットペーパーを棚から取り、そのままレジの横を通って堂々と退店する。これはスーパーマーケットが2階建てで1階にのみレジがある場合など、トイレットペーパーの棚からレジまでの道のりが長いほうがハードルが低い。



○月✕日

ドラッグストアでリップクリーム。ドラッグストアでは店の外側にも商品が陳列されているため、気になって棚に近づいたものの入店には至らず去るという行動が取りやすい。外気に触れる店外の棚にある商品を取って裏のラベルなどを一瞥したあと、興味を失って棚に戻したと見せかけ、実は商品を握ったままの手をコートのポケットに入れて立ち去る。このとき両手とも同時にポケットに突っ込むことで、寒さを理由とした自然な振る舞いを装える。特に、屈まないと商品を取れないような低い位置に陳列棚がある場合だと、商品の出し入れに体が大きく上下動するので手元の動きが目立ちにくい。



○月✕日

書店兼雑貨屋でアロマオイル。手狭な店舗は棚と棚の間に死角が多く店員の人数も少ない。まず手のひらに握り込めるサイズの小瓶を棚から取り、いかにも買うつもりで手に持ったまま他の商品を物色しつつ、死角になりやすい位置に移動する。そこで本棚の背表紙を眺めたり手に取るなどして長めに滞在時間をとり、自分の手元が店員や他の客の視線から完全に死角となるタイミングを窺う。その瞬間が訪れたら、商品を握っているほうの手首に提げた紙袋の中に商品を落とす。袋は透明でないビニール袋やトートバッグでもよいが、手首に提げた状態で自然に袋の口が大きく開いているもので、持ち手の長さが短いものが良い。そうすると、一連の行為の要となる部分が、握った手の真下に袋の口がくるように位置を調整し、握った手をゆるめるだけの非常に小さい動作で完了する。その後は、間違っても袋の中身を覗き込まれることが無いよう、なるべく店員には近づかずに店を出る。



○月✕日

コンビニでおにぎり。セルフレジのあるコンビニに入店し、お茶やおにぎり、パンなど数点の商品を手に取る。セルフレジにて会計をする際、まずレジ袋の口を開き、商品を入れる態勢を整える。その後、1点ずつ商品をバーコード読み取り機にかざしては袋に入れる動作を繰り返す。このとき、数店の商品のうち1点だけ、バーコードのついていない箇所をかざすなどして故意に読み取りを漏らす。当然、読み取りを漏らすとピッという読み取り音が鳴らないので、できれば隣接して2つ以上セルフレジがあり、かつどちらも利用者が途切れない程度に混んでいる状況が望ましい。それならば、隣のセルフレジの読み取り音を自分の音と誤認して読み取り漏れに気づかなかった、というシナリオが成立する。すべての商品を袋に入れた後は、セルフレジの画面に表示される商品や金額をよく確認せず速やかに会計を済ませて退店する。



○月✕日

雑貨店でお香。手のひらに握り込んで隠せるサイズのお香を手に取り、その他の商品も何点か取る。このとき、タオルなど嵩張る商品を混ぜておくと目くらましになりやすい。手に取る商品の数は、レジで店員が商品のバーコード読み取り作業に気を取られる時間を引き延ばすために、なるべく多めにするとよい。しかし、商品カゴを使うと商品を「手に」持っている状態に違和感が生まれるため、商品カゴは使わなくて済むよう片手で持ちきれる程度に抑えておく。レジに並び会計をする際に、片手で持った何点かの商品をレジカウンターに置いてから、もう片方の(商品を握り込んでいたほうの)手を鞄に入れて商品を安置し、そのままその手で鞄から財布を取り出して支払をする。




(※この小説はフィクションです。)

人事考課表が書きたくない

 人事考課表の自己評価を書かないといけないけど、どうしても書きたくない。なんでこんなに嫌なの?ということで、とりあえず思いつくことを挙げてみる。


1.書いても意味がない(何を書こうがボーナスの額にも人事異動にも昇給昇格にも反映されない。しかも、年収の金額は給与の分だけで当面は満足しているので、賞与は貰えるなら貰うけど別に要らないっちゃ要らない)
2.書くのがめんどくさい(提出時に自分が納得できる程度には事実に即した内容にしつつ、上司を満足させる程度には脚色した成果アピールをしないといけないので、記入に手間がかかる)
3.わかりやすく目立った成果が無いので、アピールすべき事柄を頑張って思いつかないといけない(日頃からアピールできそうな成果をあげる度に人事考課表に書くためにメモしておけば良いのだろうが、嫌いな人事考課表の存在を思い出すのも嫌なので普段は意識しないようにしており、結果的にメモできていない)
4.客先常駐のPCからファイルを持ち出せないので業務時間外に自宅のPC等で書かないといけない

 さて、人事考課表を書くのが嫌な理由っぽいものを4つ挙げてみたところで、どれがどのくらい嫌か重み付けしたうえで、順位をつけてみた。
 1位(50%)…3.成果を思いつくのがめんどくさい
 2位(30%)…2.書くのがめんどくさい
 3位(15%)…1.書いても意味がない
 4位( 5%)…4.業務時間外にやらないといけない

 真っ先に思いついた「書いても意味がない」は、実は嫌な理由のメインではないことに気づく。こうして誰も読まない文章をだらだら書いてることからも分かるように、私は自分さえ楽しければ、金銭的なうまみのない書き物をするのは全く厭わない性格である。だからやはり、書いても自分自身面白くもなんともない(読まされる上司のほうもたぶん面白くないだろう)ものを無理やり書かなくてはならないという点が嫌なのである。ちなみに、4位の「業務時間外にやらないといけない」という問題は、在宅勤務になったことで完全に解決した。それでも嫌な気持ちの総量がほとんど減っていないことから、これはやはり大した理由ではなかったことが分かる。

 となると思いつくのが、書いてて面白い文章を書けばよいのではないか?ということだ。文章表現を工夫すること自体を楽しむことで、「書くのがめんどくさい」という苦痛は軽減できそうである。さて、厄介なのは、書くネタそのものを思いつくのが困難である点だ。やはりこれは日頃からそれっぽい成果をメモするまたは記憶しておくしかないだろう。そのためには、日頃から人事考課表のことを思い出すのが苦痛にならないよう、人事考課表が嫌いだという感情に対処する必要がある。
私の場合、人事考課表に対して感じる嫌な気持ちは、読書感想文の宿題に対して感じる嫌な気持ちに限りなく近い。両者とも、建前上は「自分自身の思い」として、その実は無言のうちに上から期待されていることを巧みに読み取って書かなくてはならないという性質がある。私が所属する会社の上司や人事が人事考課表に何を期待しているかは未だよく分かっていないが、一般的に読書感想文がどうあるべきかということについては高校生くらいの時分にようやく分かってきたように思う。しかし、書き方が分かってきてもなお、それまで感じていた「読書感想文は嫌なものだ」という印象は払拭できなかったため、読書感想文の宿題はやはり嫌なものでありつづけた。
私は、人事考課表にしても読書感想文にしても、書きたくないから期限ギリギリまで放っておくタイプだ。これも良くないのだと思う。なかなか書き始めないということはすなわちなかなか書き終わらないのであり、書き終わるまでの期間ずっと「書きたくない」という気持ちを抱えて過ごすことになるため、嫌な気持ちが増幅されてしまう。

 しかし、嫌な印象を払拭するのって難題だな。いっそのこと日記だと思えばいいんじゃないか。ということで、この文章(日記)とシームレスに続けて書いてみることにしよう。
【課題取組】
【貢献】
 やっぱ無理だ。嫌だ。

鬼束ちひろ「書きかけの手紙」歌詞考察

REQUIEM AND SILENCE【通常盤】

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「書きかけの手紙」*1の歌詞を読むと、どうしても頭をよぎるのが「Sweet Rosemary」*2だ。2つの曲には共通して、“手紙”および“町/街”のモチーフが登場する。

まず、「Sweet Rosemary」の冒頭はこうだ。

手紙には何も書かないで
気持ちを飲み込んでしまうから
どうか どうか手を振らないで
振り返らないと決めたから

“手を振らないで”は、“どうか”の後に続いていることからも、命令形と解釈するのが妥当だ。主人公が元いた町を後にして旅立つ場面*3にて、残していくもの(おそらく、歌詞に登場する“貴方”)への未練を断ち切るため、あえて別れの挨拶をしないまま去っていく決意が描かれている。
“手紙には何も書かないで”のほうは、命令形ではなく連用形であり、行為主体は“貴方”ではなく主人公であると解釈している。私の解釈に従って言葉を補うと、主人公は旅立ちに際し“貴方”に宛てて手紙を書こうとしたが、いざ書こうとするとうまく気持ちを言葉にすることができず、結局何も書かないことにした、という情景が想像される。

この“手紙”が、まさに「書きかけの手紙」そのものである*4

叱られれば泣いた事や 殴られれば正した事
教えられれば学んだ事も
痛いくらいに覚えているの

 「書きかけの手紙」の冒頭にあるとおり、手紙に書くべき“気持ち”はいくらでも思い浮かぶ。
しかし、

駄目だなんて文字にしないように
馬鹿だなんて文字にならないように
残りゆく跡にならないようにと
手紙はいつもまだ書けないままで

という部分から、気持ちを表現しようと言葉を選ぶ段階でいつも立ち止まり、結局“飲み込んで”しまっていることが分かる。主人公は自分の気持ちを正確に言葉にして伝える術を持たない。そのことは以下のように説明されている。

解らない言葉は全部調べ出せた
だけど誰かの為の辞書でだったから
頼りないものさえそっと頼りにした
きっとどこにもない気持ちだったから

他に類のない(と、少なくとも主人公は感じている)気持ちゆえ、そもそも既存の言葉では表すことができないのである。自分が感じている気持ちはどこにもない、という感覚は、「MAGICAL WORLD」*5における“ひとのように振舞えなくて泣いてた”主人公が抱く疎外感と同種のものだろう。

しかし、主人公が手紙を書けないままでいるにも関わらず、“書きかけの手紙”には“返事”が届く。出していない手紙に対して返事が来たということは、わざわざ言葉にして気持ちを伝えなくても、“貴方”には既に伝わっていたということになる。
「書きかけの手紙」の主題は、むしろこの“返事”のほうだ。

自分を探し出せなかったあの街や
自分を見つけられなかったあの街へ
ほんの少しだけだけど届いた返事
「まともじゃなくたって それでいいから」と

“自分を探し出せなかったあの街”や“自分を見つけられなかったあの街”とは、「Sweet Rosemary」において“ヒッチハイクのように”“涙をこらえて”“町から町へ”渡り歩くなかで通過した街である。自分に合わない街を捨てて、次の街へ、また次の街へと進んでいく旅路では、“貴方”は思い出す対象、すなわち過去のものとして語られる。

人生は長いのだろう
貴方のことも思い出すのだろう
人生は長いのだろう
また誰かの肩を抱くのだろう

 「Sweet Rosemary」で何度も繰り返されるこの一節の“貴方”が、主人公にとって大切な人物であることは言うまでもない。しかし、“貴方”は長い人生の中で出会う沢山の“誰か”のうちの一人に過ぎず、時に懐かしく思い出すことはあっても決して振り返ることはないのだと、まるで自らに言い聞かせるかのようにリフレインしている。
この、決して振り返らないという決意は、「帰り路をなくして」*6では次のように描かれている。

帰り路をなくして
明日はどこに向かうのだろう
いつの時か 握りしめてきた
手のひらも解かずに
血の涙は零れる
緋の狭間で立ち上がるのだろう
過ぎ去る背はもう見えない
ただ その先へ
その先へ

 帰る場所を定めず、むしろ自ら放棄して、とにかく先へ先へと進む。この旅路は「everyhome」*7からずっと続いてきたものだ。

少しだけ何か話を
そしてこの路を歩いて行く
帰る家を探すためなんかじゃなくて

このように、“帰る家を探すためなんかじゃなく”、歩き続けるための旅路なのだということが、「everyhome」で既に語られている。
その理由は次の通りだ。

ずっと誰かの隣じゃ
眠れないのを

「Sweet Rosemary」で語られたように、肩を抱いたり隣で眠ったりする“誰か”はヒッチハイクのように獲得するもので、“ずっと”を約束することはできない。あくまで歩き続ける途中で、束の間の安らぎに“少しだけ何か話を”する相手でしかないのだ。
「everyhome」の結びはこうだ。

夢が醒めない事を
きっと責め続けたのだろう
まだ今は来ない次の列車を待つ

ここで言う“夢”は、「ラストメロディー」*8に登場する“夢”と同じく、人生という旅路を喩えたものであると解釈できる。「everyhome」で“旅の終わりさえ信じられない”と語られたように、行くあてを思い描くことすら叶わずただひたすらに先へ先へと進む旅だったが、「ラストメロディー」ではついにその旅の終わりが描かれている。

やっと街も足音を立てて
風さえも隙間を埋めようとする
すべては夢で
あとは目を覚ますだけ
また立ち止まる

 

季節を彷徨う
最後の言葉が
まるで貴方のように横切る
涙をうかべて
歩いてゆく私に
聴こえないメロディー

 タイトルに“ラスト”を冠するこの曲で、“すべては夢”で“あとは目を覚ますだけ”ということは、夢から覚めることがすなわち旅の終わりなのだと連想できる。しかし、“歩いてゆく私”には、この曲の最後までラストメロディーは“聴こえない”すなわち、旅の終わりを認識できない。つまりまだ目を覚ますことなく、夢の、旅の途中にいるのだ。もしくは、旅は終わりを迎えたが、夢から覚めてしまえば夢の中で起きていた出来事は曖昧になり、自分の最後の瞬間を自分で知覚することはできないということかもしれない。しかしその反面、歩き続けながらも“また立ち止まる”ことで、旅が終わりに近づいたことは自覚している。そんな中で走馬灯のごとく、“まるで貴方のように”ふと蘇る懐かしい記憶が、言葉が、“私”に涙をうかべさせる。

さて、ここで「書きかけの手紙」に戻ってみよう。

貴方に優しく出来なかったあの頃や
貴方に辛さだけぶつけたあの頃へ
全部忘れられないと届いた返事
「まともじゃなくたって いいから」
「ふつうじゃなくたって それでいいからね」と

上手に接することもできず、伝えたい気持ちを言葉にして届けることもできず、ただ先へ先へと進むために一方的に別れを告げて過去に追いやってきた“貴方”。それでも折に触れ思い出してきた“貴方”。その“貴方”のほうから“忘れられない”と主人公に届けてきたメッセージが、まともじゃなくたっていい、ふつうじゃなくたっていいという、無条件の、いわば究極の承認であった。
「書きかけの手紙」の歌詞は、そのほとんどが過去を振り返るような内容になっている。もう、かつてのように当て所なく盲目的に先へ進む旅は終わったのだ。それは、旅の途中で考えていたような“旅の終わり”を迎えたということではなく、目指すべき目的地という概念そのものから解放され、旅を続ける必要がなくなったという意味での“終わり”だった。
「碧の方舟」*9でも、こう語られている。

貴方という終わりで溺れる
でも構わない
辿り着く
その場所は何処でもいいのだろう

旅の終着点は、“貴方”だったのである。

 

*1:2020年2月20日発売のベストアルバム『REQUIEM AND SILENCE』収録。

鬼束ちひろ 書きかけの手紙 歌詞 - 歌ネット

*2:2007年10月31日発売のアルバム『LAS VEGAS』収録。

鬼束ちひろ Sweet Rosemary 歌詞 - 歌ネット

*3:「Sweet Rosemary」が収録されているアルバム『LAS VEGAS』は、“旅”のイメージで制作されている。

LAS VEGAS[CD] - 鬼束ちひろ - UNIVERSAL MUSIC JAPAN

*4:“書きかけの手紙”という言葉がそのままズバリ出てくる曲があり、「スター・ライト・レター」というのだが、こちらの主人公は非常にポジティブに手紙を綴り、まっすぐに気持ちを届けようとする。“貴方”宛ての手紙は書けなくても“君”宛ての手紙は書けるのかもしれない。「スター・ライト・レター」は乱暴にひとことで言えば「Sign」と概ね同じことを言っている。つまり、「Sign」が大好きな私は「スター・ライト・レター」も大好きなので早くカラオケで歌えるようにしてください。

*5:2007年5月30日発売のシングル『everyhome』収録。

鬼束ちひろ MAGICAL WORLD 歌詞 - 歌ネット

*6:2009年7月22日発売のシングル『帰り路をなくして』収録。

鬼束ちひろ 帰り路をなくして 歌詞 - 歌ネット

*7:2007年5月30日発売のシングル『everyhome』収録。

鬼束ちひろ everyhome 歌詞 - 歌ネット

*8:2009年5月20日発売のシングル『X/ラストメロディー』収録。

鬼束ちひろ ラストメロディー 歌詞 - 歌ネット

*9:2016年11月2日発売のシングル『good bye my love』収録。

鬼束ちひろ 碧の方舟(acoustic version) 歌詞 - 歌ネット

感謝の気持ちが分からない

朝から卵焼きを作って食べる。卵焼きは美味しい。贅沢な時間だ。
卵焼きの作り方を教えてくれた両親と暮らしていた子供の頃に思いを馳せる。卵焼きを作って食べる、そのひとときは幸せな思い出だった。
あの時間が再び訪れることは無い。一人暮らしの私がこれから毎朝卵焼きを作って食べる習慣を身につけたとしても、これから親元に戻って両親と一緒に卵焼きを作って食べる機会があったとしても、懐かしい過去が戻ってくるわけではない。これから作る卵焼きは、懐かしい思い出ではなく、常に新しい幸せでしかない。その新しい幸せも、きっと長くは続かない。
朝から卵焼きを作って食べる、その喜びを享受できる背景には、いくつもの要素がある。私が卵アレルギーでないこと、私に卵焼きの作り方を教えてくれる両親がいたこと、好きに卵を買えるだけの収入があること、台所のある家に住んでいること、在宅だから家に居られるけど勤務だから朝起きていなくてはならないこと。
いろいろな要素が組み合わさって、朝から卵焼きを作って食べる、そういう贅沢な時間を過ごすことができる。有り難いことだと思う。有り難い、と書いたけれど、感謝ということとは違うと思う。ただ文字通りに、なかなか簡単に有ることではない、というニュートラルな気持ちだ。いや、それが感謝ということなのだろうか。
珍しいものに対する感情とは得てしてそんなものだろう。贅沢な時間だとは思うけれども、なくてはならない時間ではない。もう二度とそのような時間を過ごせないのだと言われても、そうか、と淡白に受けとめることができそうである。なくなっては困ると執着してしまうものこそ、むしろ有り難いと思っていないのではないか。有り難いと思っていないから、失うまで気づかないのである。例えばどんなものがあるだろう、と考えてみるが、こうして考えたくらいで思いつくようなものは、なくなっても困らないものなのかもしれない。

手を洗うタイミングが分からない

私は、「外から帰ってきたとき」に手を洗わない。帰宅時に手を洗う習慣が無い、というよりは、明確な意図を持って「手を洗わない」習慣を身に着けているのである。そんな私が、昨今の情勢に影響を受けてか、外から帰ってきたときになんとなく手を洗ったほうがいいような気持ちになり、つい手を洗ってしまうようになった。この心境の変化は一体なんだろうか。そもそも私はどういう観点で、主観的な清潔・不潔の判断を下しているのだろうか。本稿ではそういった点を探ってみたい。


まず、私が日常生活を送る中で、どういうときに手を洗うかを整理してみる。なるべく漏らさず列挙するつもりだが、挙げ忘れはあるかもしれない。ここでいう手洗いとは、ハンドソープ等を用いて手を洗うことであり、水で流すだけのものは含まないものとする。

以下のようなタイミングでは、私は必ず手を洗うことにしている。
・化粧をする前
・調理をする前
・調理の最中、生肉または生卵に触れた後
・トイレの後
・掃除(トイレや排水溝など特に汚そうなところを掃除した場合のみ。掃除機をかける、机を拭く等は含まない)の後
・見た目に明らかな油汚れ(化粧品とかケチャップとか)が手に付着したとき

化粧の前に手を洗うのは、顔を素手でべたべた触る作業を行うにあたって手を清潔にしておきたいからだ。つまり、手は時として不潔なこともあるが、顔は基本的に清潔に保つという観念に基づいている。
調理の前に手を洗うのは、不潔かもしれない手で触れた食材を口に入れるのが嫌だからである。ただ、人が作った料理を食べる際は、その人が手を洗ったかどうかを特に気にせず食べることができる。もっと言えば、自分が手を洗わずに調理をしたとして、できあがった料理を食べることは抵抗感なくできると思う。あくまで自分が調理をし始める時点で手を洗わないことが気になるだけなのだ。
それ以降に挙げた「○○の後」系はすべて、不潔になった手で他の場所(特に、清潔を保ちたい場所)を触ってしまうのが嫌だからである。手が不潔である状態それ自体が嫌なわけではないので、その不潔な手で他の場所を触る必要が全く生じないのであれば、手を洗わないでいても平気である。

逆に、社会通念上は手を洗うべきとされている気がするが、私は手を洗わないようにしているタイミングは、代表的には以下のようなものがある。
・外から帰ってきた後
・食事をする前

このようなタイミングで手を洗わない理由の最たるものは、単に手を洗う必要を感じないということだ。子供の頃は、帰宅時の手洗いを母から義務付けられていたため、素直に実施していた。当時は、外から帰ってきた自分の手が不潔かどうかは深く考えず、ただ母に従うためだけに手を洗っていたのに過ぎない。私が帰宅時の手洗い習慣をいつ頃やめたのか正確には覚えていないが、成長とともに自我が育つ過程のどこかで、帰宅時の手洗いをしなくても生活するうえで何も困らないということに気づいたのだ。あくまで私自身の経験の中では、帰宅時の手洗い習慣の有無と、自分の健康度合いとの間に相関は感じられないからだ。
また、このようなタイミングで手を洗うことを習慣づけてしまうと、私の日常生活の中で困ったことが発生する。例えば、「帰宅時に手を洗う」という習慣は、家の外は不潔であり家の中は清潔である、という観念と結びつく。すると、例えば知人の家を訪問した際にも、家に入ってすぐに手を洗わなくてはならないことになる。また、自分の家に誰かを招いた際にも、その人を部屋に通す前にまず手を洗うよう指示しなくてはならない。人ん家で手、洗うか?あんま洗わなくない?「食事の前に手を洗う」についても同様である。例えば外食をする際、食べる前にいちいち手を洗うだろうか。多少気になったとしても、大抵の人はおしぼりで手を拭いて済ませるのではないだろうか。
だから私は、帰宅時や食事の前には手を洗わないようにしている。こんなことを言うと、「基本的には手を洗うようにして、何らかの理由で手を洗えなかった場合は仕方ないと許容すればいいではないか」と思われるかもしれない。確かに衛生的にはそのほうが理に適っている気がする。だが、私にはそういう器用な考え方ができず、「○○の場合は必ず手を洗う」と決めたら、そのような場面で手を洗わずに済ますことがどうにも耐え難いのだ。つまり私は、衛生観念ではなく強迫観念で手を洗っているのである。
現に、例えば外出先のトイレで手を洗おうとしたらハンドソープが切れていたような場合、やむを得ず水だけで手を洗って済ませることがある。このような場合、しばらくは何となく気持ち悪くてなるべく何も触らないようにしたりするのだが、そのうち忘れて気にならなくなる。だから、もしトイレの後に手を洗う習慣を無くしたとしても、実際は特に何も困らないんじゃないかと思っている。それでも私がトイレの後に手を洗うのは、普段利用するトイレに必ずと言っていいほど手洗い場とハンドソープが設置されており、簡単に手を洗える環境が整っているからである。


さて、ここで冒頭の疑問に戻る。私は最近なぜ、帰宅時に手を洗ってしまうのか。
私が帰宅時に手を洗うようになった時期は、4月の上旬、緊急事態宣言が出た頃だ。同時期に起きた、より私の生活に密接した大きな出来事としては、それまで週5で職場に通勤していたのが、緊急事態宣言を境に自宅待機になったということがある。職場というのは一日の多くの時間を過ごす場所であり、堅牢な屋内にあって自分用の席もあり、仕事をするのみならず食事や仮眠をとることもある空間である。つまり、ある意味で家に類似した性質がある。これを、「帰宅時に手を洗う習慣」と合わせて考えるとどうなるだろう。公共交通機関を利用して職場に辿り着き建物に入った時点を「帰宅」とみなして手を洗うのか、いくら家に類似した性質があっても職場はあくまで家の外なので手を洗わないのか。「帰宅時に手を洗う習慣」を身に着けてしまうと、そのような難解な疑問と向き合わなくてはならなくなるため、私はそれを無意識に避けていたのだと思う。翻って、出社を免除された現在は、外出といえば買い物か散歩くらいしかしなくて済むし、その頻度も数日に1回程度でよいので、帰宅時の手洗いを特に疑問も負担もなく実施できるようになったのである。
すっかり謎を解明できたかのような書き方をしたが、これでは私が手を洗うようになった時期の話しか解決しておらず、なぜ手を洗うようになったかの説明にはなっていない。うん、なんでだろう。気まぐれ?

不要不急の外出の定義が分からない

夜桜見物をした。
目黒川の傍にある職場を後にして駅へと向かう道すがら、満開に咲いた桜に目を奪われ、そのまま誘い込まれるように並木に沿って歩いた。桜の花は歳を取るごとに美しくなる。一年前に同じ場所で見た桜、学生時代に哲学の道で見た桜、子供の頃に祖父母に連れられて見た桜。花に導かれて鮮やかに思い出されるいくつもの情景と数多の感傷が、目の前の花弁をこんなにも輝かせる。
この道の桜は、私が幼い頃から慣れ親しんだ桜のある風景とはまた味わいが違う。桜の幹や枝はもちろんのこと、遊歩道や人工芝、街灯に至るまで整備が行き届いており、背後に林立するアーバンなデザインのオフィスビルともマッチしたハイソな趣を醸し出している。見事に大輪の花をつけた枝ぶりを見上げながら歩いていると、折しも不要不急の外出を控えるよう呼びかけられている最中にあって、ベンチで密やかに酒盛りをしたり、寄り添って佇んでいたりする男女の姿が目立った。
先の三連休では、一時の自粛ムードはどこへやら、花見の定番スポットは多くの人出で賑わったという。かくいう私も代々木公園での桜見物に小一時間ほど散歩した。あの日目にした浮かれた宴会の大半は、単なる毎年の恒例行事に過ぎず不要不急とは程遠い花見だったかもしれないが、その中の誰かにとっては、人生で一度きりの何物にも代えがたい大切な花見だったかもしれない。

不要不急の外出という表現はとても曖昧で、判断に迷ってしまう。重要とも緊急とも思えない仕事のために出社すること、休みの日に遊興のために外出すること、抜歯後の経過観察のために歯医者に通うこと、自宅で食事を作るための食材を買いに出かけること、冠婚葬祭に参列して皆と飲食をともにすること、一人で簡単に食事をとるために飲食店に行くこと、どれが必要でどれが不要かをひとつひとつ判断しなくてはならないとなると大変な労力を要する。また、自粛の期間に明確な定めが無く、今後さらに厳しく外出を制限される可能性も考えられる以上、安易に延期という決断をするのも不安が伴う。そもそも私が生きていること自体に重要性も緊急性も無いと考えると、生命維持のために食事をとる行為も、絶対に必要であるとは言い切れない。
ただ、個々の判断に委ねられているという状況は、ある意味ではありがたい。ある行為が自分にとっていかに必要不可欠であるかを声高に主張して権力者を納得させる手間を負わなくとも、自分にとって必要だと思えば、自分自身の価値観に従って外出したり、外出を自粛したりできるからだ。
自粛要請に従わないひねくれ者は、善意か悪意かは置いておいて、自分の意志に基づいて行動するから迷わない。迷ってしまうのは主に、「自粛しろって言われたから」素直に自粛しようと考える人々であろう。分かりやすい指示を出しさえすればその通り行動することが期待できるはずの人々を、曖昧な指示によって戸惑わせてしまうのは至って効率が悪い。個別具体的な外出の事例を挙げればきりがないだろうが、せめて、ある行為が不要不急と言えるかどうかの判断軸を提示したほうがよいのではないだろうか。つまり逆にどんな目的なら必要な外出と言えるのか、といってもいい。「生命維持」なのか「健康維持」なのか「経済的安定」なのか「自己有用感の維持」なのかは分からないが、どのあたりまで欲求を満たしてどのあたりから我慢するかという指針すらも曖昧なままでは混乱を招くばかりだ。とはいえ、そんな抽象的なラインを設定するのも難しいだろう。どうすることが妥当なのかは、現時点ではきっと誰にも分からない。