手を洗うタイミングが分からない

私は、「外から帰ってきたとき」に手を洗わない。帰宅時に手を洗う習慣が無い、というよりは、明確な意図を持って「手を洗わない」習慣を身に着けているのである。そんな私が、昨今の情勢に影響を受けてか、外から帰ってきたときになんとなく手を洗ったほうがいいような気持ちになり、つい手を洗ってしまうようになった。この心境の変化は一体なんだろうか。そもそも私はどういう観点で、主観的な清潔・不潔の判断を下しているのだろうか。本稿ではそういった点を探ってみたい。


まず、私が日常生活を送る中で、どういうときに手を洗うかを整理してみる。なるべく漏らさず列挙するつもりだが、挙げ忘れはあるかもしれない。ここでいう手洗いとは、ハンドソープ等を用いて手を洗うことであり、水で流すだけのものは含まないものとする。

以下のようなタイミングでは、私は必ず手を洗うことにしている。
・化粧をする前
・調理をする前
・調理の最中、生肉または生卵に触れた後
・トイレの後
・掃除(トイレや排水溝など特に汚そうなところを掃除した場合のみ。掃除機をかける、机を拭く等は含まない)の後
・見た目に明らかな油汚れ(化粧品とかケチャップとか)が手に付着したとき

化粧の前に手を洗うのは、顔を素手でべたべた触る作業を行うにあたって手を清潔にしておきたいからだ。つまり、手は時として不潔なこともあるが、顔は基本的に清潔に保つという観念に基づいている。
調理の前に手を洗うのは、不潔かもしれない手で触れた食材を口に入れるのが嫌だからである。ただ、人が作った料理を食べる際は、その人が手を洗ったかどうかを特に気にせず食べることができる。もっと言えば、自分が手を洗わずに調理をしたとして、できあがった料理を食べることは抵抗感なくできると思う。あくまで自分が調理をし始める時点で手を洗わないことが気になるだけなのだ。
それ以降に挙げた「○○の後」系はすべて、不潔になった手で他の場所(特に、清潔を保ちたい場所)を触ってしまうのが嫌だからである。手が不潔である状態それ自体が嫌なわけではないので、その不潔な手で他の場所を触る必要が全く生じないのであれば、手を洗わないでいても平気である。

逆に、社会通念上は手を洗うべきとされている気がするが、私は手を洗わないようにしているタイミングは、代表的には以下のようなものがある。
・外から帰ってきた後
・食事をする前

このようなタイミングで手を洗わない理由の最たるものは、単に手を洗う必要を感じないということだ。子供の頃は、帰宅時の手洗いを母から義務付けられていたため、素直に実施していた。当時は、外から帰ってきた自分の手が不潔かどうかは深く考えず、ただ母に従うためだけに手を洗っていたのに過ぎない。私が帰宅時の手洗い習慣をいつ頃やめたのか正確には覚えていないが、成長とともに自我が育つ過程のどこかで、帰宅時の手洗いをしなくても生活するうえで何も困らないということに気づいたのだ。あくまで私自身の経験の中では、帰宅時の手洗い習慣の有無と、自分の健康度合いとの間に相関は感じられないからだ。
また、このようなタイミングで手を洗うことを習慣づけてしまうと、私の日常生活の中で困ったことが発生する。例えば、「帰宅時に手を洗う」という習慣は、家の外は不潔であり家の中は清潔である、という観念と結びつく。すると、例えば知人の家を訪問した際にも、家に入ってすぐに手を洗わなくてはならないことになる。また、自分の家に誰かを招いた際にも、その人を部屋に通す前にまず手を洗うよう指示しなくてはならない。人ん家で手、洗うか?あんま洗わなくない?「食事の前に手を洗う」についても同様である。例えば外食をする際、食べる前にいちいち手を洗うだろうか。多少気になったとしても、大抵の人はおしぼりで手を拭いて済ませるのではないだろうか。
だから私は、帰宅時や食事の前には手を洗わないようにしている。こんなことを言うと、「基本的には手を洗うようにして、何らかの理由で手を洗えなかった場合は仕方ないと許容すればいいではないか」と思われるかもしれない。確かに衛生的にはそのほうが理に適っている気がする。だが、私にはそういう器用な考え方ができず、「○○の場合は必ず手を洗う」と決めたら、そのような場面で手を洗わずに済ますことがどうにも耐え難いのだ。つまり私は、衛生観念ではなく強迫観念で手を洗っているのである。
現に、例えば外出先のトイレで手を洗おうとしたらハンドソープが切れていたような場合、やむを得ず水だけで手を洗って済ませることがある。このような場合、しばらくは何となく気持ち悪くてなるべく何も触らないようにしたりするのだが、そのうち忘れて気にならなくなる。だから、もしトイレの後に手を洗う習慣を無くしたとしても、実際は特に何も困らないんじゃないかと思っている。それでも私がトイレの後に手を洗うのは、普段利用するトイレに必ずと言っていいほど手洗い場とハンドソープが設置されており、簡単に手を洗える環境が整っているからである。


さて、ここで冒頭の疑問に戻る。私は最近なぜ、帰宅時に手を洗ってしまうのか。
私が帰宅時に手を洗うようになった時期は、4月の上旬、緊急事態宣言が出た頃だ。同時期に起きた、より私の生活に密接した大きな出来事としては、それまで週5で職場に通勤していたのが、緊急事態宣言を境に自宅待機になったということがある。職場というのは一日の多くの時間を過ごす場所であり、堅牢な屋内にあって自分用の席もあり、仕事をするのみならず食事や仮眠をとることもある空間である。つまり、ある意味で家に類似した性質がある。これを、「帰宅時に手を洗う習慣」と合わせて考えるとどうなるだろう。公共交通機関を利用して職場に辿り着き建物に入った時点を「帰宅」とみなして手を洗うのか、いくら家に類似した性質があっても職場はあくまで家の外なので手を洗わないのか。「帰宅時に手を洗う習慣」を身に着けてしまうと、そのような難解な疑問と向き合わなくてはならなくなるため、私はそれを無意識に避けていたのだと思う。翻って、出社を免除された現在は、外出といえば買い物か散歩くらいしかしなくて済むし、その頻度も数日に1回程度でよいので、帰宅時の手洗いを特に疑問も負担もなく実施できるようになったのである。
すっかり謎を解明できたかのような書き方をしたが、これでは私が手を洗うようになった時期の話しか解決しておらず、なぜ手を洗うようになったかの説明にはなっていない。うん、なんでだろう。気まぐれ?