やりたいことが分からない

生茶がおいしい。私が普段よく買うペットボトルのお茶といえばたいてい紅茶か麦茶かジャスミン茶なので緑茶はめったに買わないのだが、昨日たまたま見たCMで満島ひかり生茶をものすごく美味しそうに飲むものだから、今日は絶対に生茶を買おうと思ったのだ。生茶といえば松嶋菜々子とパンダのCMが好きだったので、あの当時は生茶を好んで飲んでたかもしれない。緑茶といえば、私は中谷美紀が好きなのでお〜いお茶を割と積極的に買う傾向があるのだが、お〜いお茶の味は別に好きじゃないので習慣的に買うには至らず、結果として緑茶そのものをあまり飲まないのだ。久しぶりに飲んだ生茶は美味しかったのでまた買うかもしれない。

ところで、数日前から「生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミストシオランの思想(星海社新書)」を読んでいる。Twitterでフォロイーさんが推薦しているのを目にして、タイトルが気になったのでポチッたものだ。私自身は「生まれてきたことが苦しい」などと言うのはおこがましいと感じるくらいには幸せな日常生活を送っているが、なるべく早く死にたいと日々思いながら生きていることもまた事実であるといった感じであるので、何か私にとってためになることが書かれているのではと期待してページをめくった。
人生に意味はないとか、勝とうが負けようがどうでもいいとか、人生は自殺の遅延だとか、自殺という観念のおかげで生き延びることができるとか、私が普段ぼんやり考えているようなことがそのまま書いてあって面白かった。非常にわかりみが深いためか、読み進めるスピードも非常に速かった。生きる意味など特にないので、すなわちわざわざ死ぬ意味もない、という点には、私一人ではこれまで到達できなかったので、なるほどなと思った。爽快な気分だ。この発想に巡り会えただけでもこの本読んで良かった。あと、本当に寛容な社会は寛容に対立する思想をも受け入れてしまうので寛容さを維持できない、という話も面白かった。寛容主義の私が、もっと寛容になるべきだなどと言って他者を啓蒙することができないのとよく似ている。
今日で第1部は全部読んだので明日第2部を読もう。

(文中敬称略)

努力至上主義が分からない

転職したいなあと思って、どうせなら手に職つけたいなあと思って、クラウドワークスのwebライティングの求人を見て、面倒臭そうだし作文苦手だし寝る時間が減るのは難しいなと思って何も応募しないでページを閉じた。という行為をするのはこれまで2〜3度目な気がする。クラウドワークスは会員登録しなくても求人が見れるのでこういう思考を辿りがち。無気力人間な私のくせに定時で帰れない仕事をしながら副業なんてできるわけないだろ、とセルフツッコミ。

努力をしていないことに対する不安、のようなものがある。努力をすれば必ず報われるというわけでもないだろうに。確かに私には、これまで何かを努力した分かりやすいエピソードがない。中学の部活は半年で辞めてしまったし、受験勉強もそれほど苦労しないまま突破してしまった。大学のサークル活動はのんびりしたものだったし、アルバイトは軽いものしかしていない。だから就活で語れる努力したエピソードがなくて、面接には苦労したうえに良い思い出がない。
それでも私は嫌いな面接を受けたし、特に入りたくもない会社の内定を取り、その会社で週5プラスアルファで労働を続けてもうすぐ3年にもなる。週5で働いているという点だけでも十分努力を認めるに値するのではないかと思うのだが、私自身がその程度では努力と認めてくれないのだ。巷にはもっと頑張っているエピソードが溢れている。もっと労働時間の長い人も、働きながら結婚や育児などをしている人もいる。そういった人たちを顧みると、私は確かに努力が足りないようにも思える。
同じ学校の同じクラスの中でも、不登校になる人と、ならない人がいる。不登校になる人は、努力が足りないのだろうか。私の場合、小学校は大嫌いだったが、母親に引きずられるようにして登校させられたので、不登校にはならなかった。不登校になった人より私のほうが努力していたと、言えるのであろうか。

努力の量を人と比べても仕方がないと思う。成果を比べるならまだしも。しかし、個人単位で成果を測るのも難しい。
努力さえしていれば、「努力をしていない不安」からは逃れられるのかもしれない。では何を努力しようかしら。手っ取り早いところで、仕事?今の仕事で努力したところで、たちまち「こんなに意味のないことに時間と労力を費やしていていいのか」という不安に襲われるのが関の山だ。

結局何をしても将来は不安なものだ。それを、自覚している自分の弱みに基づいて「努力していないから不安」「恋人がいないから不安」などと理由付けしているのに過ぎない。

さっき見たwebライティングの求人の中に、「江戸川乱歩の名言で救われたエピソードを1000字以上でお願いします」というものがあった。江戸川乱歩は小説しか読んだことがなかったので、名言ってどんなものがあるんだろうとググってみた。いくつか出てきた中で、これはと思った名言で、この文章を締めようと思う。

「孤独に徹する勇気もなく、犯罪者にもなれず、自殺するほどの強い情熱もなく、結局偽善的(仮面的)に世間と交わって行くほかはなかった。」
江戸川乱歩『我が青春記』

死にたい理由が分からない

ここ数日、いやここ半月くらいだったろうか、とにかく最近とみに死にたい。
そもそも私は常々ちょっと死にたい気持ちを抱きながら生活している。具体的に言えば、少なくとも一日一回は、ああ死にたいなあ、と思う瞬間がある。とはいえ、普段は死にたみに長時間囚われることはなく、しばらく思考を巡らすうちに忘れてしまう(そして、また忘れた頃にふと、死にたいなあ、と思う)。私一人だけが死にたみに耐えているわけでもないだろうから、世間の人はみな死にたいのに頑張って生きていて偉いなあ、とも思っている。
しかし、このところ感じる死にたみはどうも持続性があり、なかなか改善しない。憂鬱のお供に最適な鬼束ちひろさんのアルバムを聴いてみても、ここ一年くらい私の心の癒やしポジションを占有している竹内結子さんの可愛いYouTube動画を観てみても、とりあえず散歩に出てみても、なかなかどうして死にたい。音楽を聴いたり動画を観たりしている最中は素直にコンテンツを楽しめるのだが、終わってしまうとまた先程の死にたみが再燃するのだ。今日は特に死にたみが強く、こうしてブログを書くまでに至ったので、その理由を思いつくままに考えてみる。

Q.なぜ私は死にたいのか?
1.寒いから
2.今日一日何も食べていないから(正確には、アイスとヨーグルトとプリンしか食べていない)
3.仕事を辞めたいけど辞めたあとどうするか決められないから
4.正月に帰省した時に祖父の見舞いに行っても大した言葉をかけられなかったから
5.そもそも幼少より人見知り傾向が強く祖父母や親とのコミュニケーションが未だにうまく出来ないから
6.パートナーがいないから
7.やりたいことがないから

1はかなり有力だ。寒いときって基本的に死にたい。ただ、部屋で暖房を効かせて布団にくるまっているときは死にたみが無くなるのかと問われれば、決してそんなことはない。その点を考慮すると、寒いからというよりは冬だからなのかもしれない。
2もかなり有力だ。実は今この文章を書きながら、「黄金の華」でジャンボ餃子6個を注文して食べている(ちなみに餃子を選んだ理由は、さっきYouTubeで観たドラマ番宣インスタライブの動画で竹内結子さんが餃子を食べた話をしていたからだ)。温かい餃子を食べ終えると死にたみがかなり薄れてしまったのでこの文章を書き続けるモチベーションが下がってきたのだが、せっかくなのでもう少し書く。飯を食ったら死にたみが消えるのだとしたら、1日三食欠かさず食っていれば死にたみを感じない人生が送れるのではという気もする。が、1日三食欠かさず食っていた実家暮らしの高校時代までに死にたみを感じていなかったかというと決してそんなことはない。
3はまあありきたりだが、仕事が嫌だから辞めたいけど辞めたら次の仕事とか暮らし方とかいろいろ考えないといけない気がして面倒臭いからいっそのこと死にたい、というやつだ。これは冷静に考えれば錯覚だと分かるけど、そういう思考回路に陥ってしまう気持ちもよく分かる。小学校とか家庭環境とかと違って仕事くらい自分の意志で辞められるんだから深く考えずに辞めてしまえばいいと思うんだけど、でも死にたいよね分かる。
4はこの前帰省したからこの世の無常観を憂えているだけで単純といえば単純。
5は、4の出来事を経て劣等感を強く感じたので死にたくなったのである。ところで最近、障害者の人権を訴える系の文脈で、「役に立たない人間でも生きていていい」という世の中になったらいい、という意見をよく見かける。これは健常者の私でも社会の役に立たないままで生きていてもいいということなのかな、そうだったらいいな、でもきっとだめだろうな、親には「働かざる者食うべからず」とか言って怒られるし……。
6は、死にたい気持ちを分かち合えるパートナーがいれば死にたみが無くなるかもしれないなあという根拠のない淡い期待である。しかし私の場合、パートナーがいないから死にたい、というよりは、死にたいときに死ににくくなるといけないからパートナーを作らないようにしている、と言ったほうがたぶん正しい。
7は3とも通じてくるのだが、生きていても特にやりたいことがないから死んでしまいたいと思う。今ある趣味(好きな女優の鑑賞、絵を描くこと、歌うこと、読書など)は確かにやりたいことではあるのだが、最近では「寝たい」という欲求に勝てないし、そのために生き続けたいと思うほどではなくなってしまった。歳を取るごとに好奇心は減り人生経験は増えるので、どんどんやりたいことがなくなっていくのも当然のように思う。やったことがないこと(例えば結婚とか子育てとか現職以外の仕事とか海外移住とかUターンとか)は、どれも大変そうだなあと思ってしまい、積極的にやってみようと思えない。

こうして書いていると、ここ最近の死にたみの根幹は7にあるように思う。やりたいことがないから努力してまで今の環境を変えようとは思えないけど、それでも今の会社は嫌だから辞めたい。そもそも今の会社に入った理由は、就活のときに面接やエントリーシートで自分を飾り立てたり、思ってもいない志望動機を述べることができなかったために、実質面接なしで入れた今の会社しか受からなかったからだ。努力から逃げ続けて流れ着いた先なので楽っちゃあ楽なのだけれど、やりがいも楽しさもなく特に評価もされない仕事ばかりしていれば死にたくもなる。
仕事は収入を得る手段と割り切って、趣味に生きがいを見出すことも考えてみたが、だいたい何をするにも「寝たい」に勝てない。そんな中でも今もやり続けている数少ない活動である女優鑑賞と歌うことは、趣味というよりもむしろ、生きていくことの苦痛から逃れるために不可欠な麻薬に近い。
とかく生きていくのは苦しいので早く死んでしまいたい。でも、切実に今すぐに死にたいという気持ちは感じなくなってきたような気がするので今日はこのへんで筆を置くことにする。

あいみょんが気になる

今日、hitomiのLOVE2000の音源が欲しくてiTunesを開いたら、検索ワードの「トレンド」の中に「あいみょん」があった。あいみょんのことはあまり知らなかった。昨年末の紅白でマリーゴールドを聴いて、なんかいい曲だなあと思ったことがある程度だ。
いい曲だったという印象はあるけどどんな曲だったか思い出せなかったので、「あいみょん」で検索してマリーゴールドを試聴してみた。検索結果には他に、今夜このまま、君はロックを聴かない、などが表示されていた。タイトルを聞いたことがあったのでそれらも試聴してみると、聞き覚えがあった。CMかなにかで聴いたような気がする。
あいみょん」という名前から私はきゃりーぱみゅぱみゅのような曲調を想像していたのだが、意外にもその声は低くて深みがあり、私の好きな鬼束ちひろの声を想起した。メロディーも気に入ったので、LOVE2000のついでに落とした。
マリーゴールドの歌詞を見たくて検索すると、パクリ疑惑とか言う記事が出てきた。何でも、マリーゴールドのサビの始まりのメロディーが、オザケンのさよならなんて云えないよのAメロの歌い出しのメロディーと似ていると言うのだ。さよならなんて云えないよは大好きな曲なので、メロディーは覚えている。言われてみれば、確かにマリーゴールドのサビとよく似ていた。
あいみょんの音楽的ルーツは、「浜田省吾吉田拓郎河島英五尾崎豊フリッパーズ・ギターおよび小沢健二平井堅など」らしい(出典:Wikipediaあいみょん」の項)。尾崎とオザケンが好きって、私と一緒だ。だから私はあいみょんの曲を気に入ったのかな、などと納得した。

また会いたい人の基準が分からない

よく知らない人とデートした感想。
背景としては、習い事の教室の飲み会で知り合った人にLINEを聞かれたので交換し、飲みに誘われたので行きますと言った。お店予約したよ、というLINEの食べログのリンクを見たら銀座のお洒落な感じの店で、私は銀座のお洒落な感じの店に行った経験がなかったのでビビって慌ててワンピースとか買った。
それまで1回しか会ったことなかったから私はその人の顔をあまり覚えていなくて、待ち合わせでちゃんと会えるか少し不安だったけど、なんとか会うことができた。店の雰囲気から会話内容から解散の流れに至るまで、東京カレンダーに載ってるデートの手本みたいだなという印象を受けた。ラストオーダーを過ぎて一通り食事を終えたタイミングで、その人がトイレに行くと言って席を外した。これはもしや私が席を外したタイミングで会計を済ませたくて、私がトイレに行くよう暗に促しているのかもしれない、という可能性に思い至ったので、その人が戻り次第入れ替わりでトイレに行ってみた。私がトイレから戻ると、普通に会話を再開して5~10分くらい喋った後で、そろそろお会計する?と聞かれた。先程の私の深読みは考えすぎだったのかもなと思った。ただ、すぐに店員さんを呼びにくい席だったので、私がトイレに行っている間に会計を済ませるつもりだったけど近くに店員さんが居なくて断念たという可能性もあり一概には言えない。もしくは、会計してるところを相手に見せたい派というか、明示的におごりますよと言いたい派なのかもしれない。
解散してしばらくするとまた相手の顔がよく思い出せなくなった。整った顔立ちであまり特徴がなかったのと、職場の知り合いに似た顔の人がいて混同してしまったのもあるが、顔も思い出せないくらいに私がその人に興味が無いんだろうと思った。
なぜ私はあの人に興味を持てなかったんだろう、と考えてみた。初対面でもすぐ顔を覚えて、是非また会いたいと感じる人はいるので、会った回数が少ないことは問題ではないはずだ。会話は当たり障りなく、自慢ばかり聞かされることも愚痴を聞かされることもなく私の趣味や仕事や恋愛の話などを広く浅く聞いてくれ、これと言って嫌なところはなかった。だから、 今後また会うのが嫌だとは思わないけど、かといって積極的にまた会いたいという感情もわかない。なぜだろうと思って、これまで会った「また会いたい」カテゴリの人と「別に会わなくてもいい」カテゴリの人を思い浮かべて比べてみた。
考えてみると、その人は私と会っている間に一度も私の名前を口に出して言ってくれなかったことに気づいた。苗字でも下の名前でもあだ名でも、名前を呼んでもらえる、覚えられているというのは嬉しいものだ。その人は私に質問するときも、私の名前はおろか「あなた」「きみ」等の二人称すらも省略していたように記憶している。会話しながら、この人は今目の前にいるのが私でもいいのかもしれないけど、それは私でなくても誰でもいいのだろうな、という印象を受けたのは、そこに起因しているのではないかと思った。
というわけで、好意を表明したい人には積極的に名前を呼びかけるようにしようと思った。

転職をしたいかどうか分からない

今の会社を辞めたい理由の1つ目が休みが少ないことで、これはまあ明らかに現状に不満があるので理由としては妥当だと思う。2つ目が労働組合なんだけど、これは数年前の結成以来特に活動していなかったものが最近動き出してみたらいわゆる御用組合だったので、一般社員に不利な規則がいろいろ増えそうだから今のうちに辞めたいと思ったのである。
御用組合で不利な規則が増えそうだから今のうちに会社を辞める、という姿勢は、治安維持法が可決されそうで嫌だから今のうちに日本国民やめる、みたいなものだと思う。私は今のところ、日本国民をやめるための具体的な行動を起こそうとまでは思わないので、会社のほうもまだ辞めるべき時ではないのではないかとも思う。ただ、会社を辞めるのは日本国民をやめることに比べれば非常に手続きが簡単なので、会社を辞めることに関してはもう少し気軽に考えていい気もする。建国に比べれば起業なんて楽勝だろう。

日本企業は日本国が破綻したら立ち行かなくなりそうなので、日本企業の進退は日本国に懸かっていると言えそうだ。しかし、日本国が破綻したとしても日本に住む個人の生活が直ちに破綻することはないような気がする。そういう意味では組織より個人のほうが強い。国があろうがなかろうが人が繁殖を続ける限り人類は存続する。

実際のところ、会社なんぞ辞めようが辞めまいがどうでもいい。転職の軸がどうとか聞かれては言わされてよく分からなくなってきているけど、本来私が望んでいるのは、定時に帰りたいということでも仕事にやりがいを見出だしたいということでもなく、ただ幸せに生きたいだけなのだ。
定時に帰れなくても仕事にやりがいを見出だせなくても、セロトニンだかドーパミンだかがたくさんあればそれだけで望みは叶うのかもしれない。

求人を見るポイントが分からない

マイナビエージェントに登録したので、初回の面談に行ってきた。担当の人は仕事できそうな印象の人だった。ただ、売られる側の立場の私にとって、それが幸なのか不幸なのか判断がつかない。私の希望に合った求人を頑張って探してくれるとは思えないので、会社の良し悪しの見極めは自分でやるしかない。まあ、私に内定をとらせるための面接対策などは上手いことやってくれそうかもしれない。
私はITエンジニアの端くれなので、ITエンジニアの求人ばかり十数件を紹介された。求人票だけ見ても特に何も分からないので特に何も分からなかったが、転職サイトで無限に出てくる求人票よりは、誰かが十数件まで絞り込んでくれた求人票のほうがまだ比較検討しやすい。IT系の仕事にはあまり興味がないが、そこそこ面白いといえば面白いし、別段他にやりたいこともないので、志望業界はITに限定してしまってもいいかなと思えるようになってきた。選択肢が多すぎると選べないので、あえて制約事項を増やしていく手もあると思う。たとえば結婚や家を買うなどして容易に引っ越せない状況になってしまえば、自ずと選択肢が絞られてくるだろう。
求人票を見るとき、「未経験歓迎」とか「残業少なめ」とかいう甘い言葉が出てくると、実は離職率が高くて人集めに躍起になっているんじゃないかとつい警戒してしまうが、求人票の文体など書いた人のセンスによりけりの部分も大きいと思うので、やはり求人票だけ見ても何も分からないという結論になる。面倒くさいので紹介された求人全てにとりあえず応募してみて、内定を取ってから比較検討すればいいのではないかと思う。気に入らなければ内定辞退すればいいだけの話だ、という点はやはり、働きながら転職活動をすることの大きなメリットだ。